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野菜中心で育つ子供

先日、町内の駅伝大会、小学校のマラソン大会に子供が参加しました。
野菜中心の食生活で、果たして元気に育っていくのか? と 心配されることもあるのですが、
小六の息子は、町内駅伝大会 区間賞(区間 最高タイム)、小学校のマラソン大会 1位(学年で)となりました。
小4の息子はマラソン大会6位でした。 ほかの子供達と比べて、体力、思考力において問題になるほど劣る事もなく、
元気に成長しています。 肉を食べないと力がつかないとか、何でも食べないとだめだ!(特に学校給食)とかメディアはいいますが、あくまで一つの考えであり、絶対ではないということかと 思います。

身の回りにあるもので、自分で幸せを創りだす方法を子供と一緒に習得していくことは、将来の人生において非常に大切です。 日々の食事で、「これ」がないと「だめ」となるような思いを子供にさせるのではなく、肉がなければ大豆ミート
、もしくは油揚げとか 創意工夫をしてみるという姿勢を親が示すことが、結果として子供達を含めたその家族の人生の選択肢の幅をひろげることになります。 メディアの意見に依存せず、是非いろいろ実践してみてください。
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11月3日 峰の原高原で ひなたや 出店します

峰の原

11月3日 峰の原高原スキー場で ペンション 福永 さんが、新たな 地域の集まり場 のお披露目を行います。
国産材を使い、手作業でつくりました。 木を良くしっている つるまる さん 監督の建物(小屋に近いサイズ)
壁は、菅平の土を使用して塗ってあります。
当日 ひなたやで、 自家栽培小麦の挽きたて全粒粉(1k500円)、自家栽培ホーリーバジル(乾燥、お茶用)を少量限定で販売します。 いろいろな作り手の作品など、展示販売します。
この機会に紅葉のすすんだ、峰の原高原へお出かけくださいませ。

10月9日 ライブ & 限定商品販売

10月9日 bp移転企画 「ひなたや」にて
green shit(4時ごろ) 、fighting farmers (6時ごろ) ライブ開催予定!

bp秘蔵コレクション アイパス シューズ 数足 販売予定!

ご来場は、bpなつかしの商品着用でおこしくださいませ! 当日のスタイル賞 用意しておきます!

bpファンの皆様、10月8日ー10日 ファミリーセール開催
new bp 100年の古民家にておまちしております。なおライブは、9日に開催いたします。

ひなたや 限定オープン 10月8日(土曜日)ー10日(月曜)に変更しました



10月のひなたや 「10月8日〜10月10日」 期間限定オープンします。
bpトレーディングの移転記念もかねて、開催する予定です。
3日間 賑やかな催しも予定していますので、お越し下さいませ。
詳細は、随時アップしていきます。

昔話1  「92年 独立をした時」

誰かの人生の可能性を広げることができたらと、僕の昔話をつづることにしました。
常に、僕は平均的人間であると自覚していました。特別何かに優れた才能を発揮していたわけでもありません。
そんな普通の僕ですが、いろいろな事を実践してきました。そこには、自分なりの決断、意志があったかと思います。
人生、迷うことは多々ありますが、目指す頂上は同じです。ただ登る道が違うだけだと思います。
そんな人生の一つの道を紹介させていただきます。
時は1989年 人生初めての就職。

89年イギリス・イタリア留学から帰り、シュリロトレーディングという輸入商社のスポーツ用品部に90年1月に就職しました。スポーツ用品部は、ウインドサーフィンの世界トップブランドを取り扱っていました。入社した時はスノーボードの輸入を始めたところでした。当時スノーボードはほとんど知られていなく、滑走できるスキー場もごくわずかでした。
その会社での僕の担当は、スノーボードの営業、そして海外メーカーとの交渉の補佐、外人ライダーのガイドなどでした。
look snowboard,okay boots,ups boots, firitch bindingなどを輸入していました。当時サポートしていた日本ライダーは今ではスノーボード業界の大御所にもなっている人もいます。営業での担当は東日本全てを担当して、関東から北海道まで。スノーボードはやったこともなく、就職して初めて見るものでした。営業を担当していたので売り上げを伸ばす必要があるのですが、簡単にはいかなく。それでも、着実に数字は伸びてきました。
そんなある時、当時の部長と宴会をしたとき、僕は 小さい会社でも大きい会社でも社長は社長。同じだという持論をだしました。これは社長という立場の責任感は同じであるという事であったと思います。 上司はそれは違うという考えでした。言葉のお互いの意味合いが違っていて、言葉のとらえ方が違っていたのかもしれないですが、僕のこの社長は社長という考えは、後々にも大きく影響しました。 結局、社員は平でも課長でも、部長でも永遠に社員であり、責任をおうとすれば自分に対してだけです。社長は大きい会社でも小さい会社でもトップにいるということは自分だけでなく、社員を(社員の家族を)、会社全体を、関係各社に対しての責任を感じるのです。
92年1月まだスノーシーズンは終わりではないときに、全体会議がありました。そこで、僕に対して、
営業&マーケティング から、マーケティング専属になるよう辞令がでました。シーズン途中で、営業数字をまだ伸ばせるという時でもあり、この辞令に対して 僕は即答はできず、「考えさせてくれ」といいました。それに対して、部長はこれは「辞令」だと言いました。 それから僕は数日考えたのですが、この部長の言葉の意味は、yesか辞めるかという選択肢しかないとう意志表示だったかと思います。血気盛んなやりての部長でしたので、まさか辞令に対して、即答しないことなど考えられなかったかと思います。もちろん、マーケティング専属になることは、それは栄転と考えてもよかったかとは思いますが、僕としては「辞令」という意志に対して、自分の人生は自分で決断したいという意志がまさったのか?
社員は永遠に社員で、社長の気持ちにはなれないということが、僕を独立へと後押ししたかと思います。

そして、毛筆で辞表をだし、92年2月に辞めました。そして、日本初のスノーボードビジネスコンサルタントとして、開業しました。これは、自分で会社をおこすほど資金も能力もなかったのですが、顧問として社長と接触することで社長の立場を少しでも感じたかったからです。そして、千葉の取引先に、年間10万で顧問契約をしました。



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