しんせつそう / shin setu sou / rental & local info

小学6年生の修学旅行、そして行き先が東京 について

飯綱町の小学校(長野市の小学校なども)では、6年生で、東京への1泊2日の修学旅行が計画されています。
僕の時代では、6年生は臨海学校で新潟の海に泊まりでいきました。
今の時代は、裕福になったのか?東京まで1泊旅行にいくようです。日本の首都東京で、国会議事堂などを見学するのでしょう。 なぜ、地産地消と叫ぶ、長野県のお偉方が、小学生を東京に行かせたいのか? 東京を小学生にみせることの価値がそれほど高いのか?学ぶことは、まず地元のことからではないのか?福島の震災の時に、学校の先生の判断により多くの小学生の命が犠牲になったことを忘れたのか?熊本でおきた想定外といわれる地震の際に、行政などの機関が機能できなかったことから、何も学んでいないのか? 

安い言葉に聞こえる「おもてなし」観光県としての「長野県」、小学生に学んで欲しいことは、国会議事堂においてではなく、自分たちのすむ郷土「長野」においてではないのでしょうか? 観光地での世界標準は、そこに住む人が地元に対しての愛着をもち、地域のことを良く知っていることです。 小学生から英語教育をすることと同じで、やることの順番が違っています。英語ができれば、外人と意思の疎通ができるのか?それはNOです。自分のこと、自分の住む場所のこと、などがわからずに、上辺の言葉だけで、あいさつはできても、お互いの心は通じません。なぜか?そこに人としての魅力がないから。長野に育ち、将来の長野の観光大使(すべての県民が)となる小学生が地元の良さをわからずに、何を外につたえることができるのか? この広い長野県には、北信、中信、東信、南信とあります。北信育ちの大人ですら、南信に足を踏み入れたことがない人が多くいます。 東京へは、何回となくいっている大人達なのに。 東京へ行かせたい、特別な理由があるのでは? 

さらに、今 いつどこで地震などの災害が起きるかわからない状況で、小学生を大都市東京へつれていくことのリスクの大きさを果たして、同行する先生方は、理解しているのか? 大都市で災害が起きた場合、非常にレベルの高いサバイバル経験、知識、能力が必要とされ、それでも自分の身をまもることすら困難です。普通の小学生の先生たちが、果たしてどれほどの、能力を持って小学生を守れるのか? 福島の震災の時には、一瞬にしてコンビニの棚がからになり、電車はとまり、多くの人が歩いて自宅までかえりました。熊本の地震の時にも、コンビニの棚はからになり、電車はとまり、高速は通行止めになり、空港も閉鎖となりました。 はたして、同行する先生たちは、生徒の分の水、食料は確保してあるのでしょうか?歩いて、東京を脱出する準備はできているのでしょうか? 歩けない小学生をおんぶして、歩く心構えはできているのでしょうか? 何もおきないと、軽く考えて小学生をつれていくつもりなのでしょうか? 日本最大の大都市東京は、災害に非常に弱い場所であることを認識しているのでしょうか?

長野県知事、長野県教育委員長、飯綱町教育委員長、小学校の校長 どこまで、準備されていますでしょうか?

「過去から学ぶという大切なことを、学んでほしい。 そして、学ぶことには、順番があることも、学んでほしい。
生徒に教えているように。まず、自分たちが。






スポンサーサイト

子どもの教育について

日本をしきる人たちの悪政がひろがるなか、今年の秋には長野市議選があります。
数が少ない子ども達が、悪い見本にしかならない多くの大人の生き方を真似ずに、次の世の中を築いてもらうためにも、
学びたいと思うこども達への、無償の教育はとても大事です。

各地に、児童センターとか児童館など 親が帰ってくるまで、子ども達が集まって入れる場所があります。
そこで、小中学生向けに、勉強などをおしえる人を配置して、学びたい子ども達に学ぶ機会をつくったらどうでしょうか?
すでに、実地している地区があるかもしれないですが、長野市では行われてはいないようです。
小中学校の生徒に教えれる能力のある人はたくさんいます。PTAでできる人が交代でやってもできます。
もちろん、そこには市税を投入し、教えることに対しての対価を発生させるべきです。といっても、夕方の3~4時間くらいであれば、1人を配置したところで、たいした金額にはなりません。そして、学びたい子ども達に学ぶ機会をつくることのほうが、どれだけ価値があるか。費やした金額以上のみかえり以上に、将来 十分に社会に還元されます。

学校の先生方は、教えるということ以外にやることが多く手も、気もまわりきれていません。また今の週休2日制の授業内容、教科書をみていると、一昔前の時代の内容とくらべ、とても簡単になっています。お金に余裕のある家庭は、塾などの習い事に子どもを通わせていますが、では余裕のない家の子どもはどうなるのでしょうか?どちらの子どもも、皆 大人になっていき、同じ社会で生きていくことになります。勉強がわからなくて、やらない子どももいますが、学びたいけど、わからない、でも聞ける相手がいない。もしくは、良い指導者がいないという子どももたくさんいます。 教育とは、本来 学びたい子ども達にはどんどんと学ばせるべきであります。 教育とは、教えることではなく、学ぶ意志をもって学ぶ機会をつくることです。 行政の予算の配分を是非 考えてほしい。

行政、市議、県議などになろうとする人たち、子どもを持つ大人たち、一度 教育ということに対して、考えてみて下さいませ。子ども達は、いろいろな大人の背中から社会を学んでいます。教育を学校の先生に100%依存することは、どうなのか? 教育は、詰め込むことなのか?それとも学ぶ姿勢をつくり、学ぶ機会をつくることなのか?

 | ホーム | 

FC2Ad

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR