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子どもの教育について

日本をしきる人たちの悪政がひろがるなか、今年の秋には長野市議選があります。
数が少ない子ども達が、悪い見本にしかならない多くの大人の生き方を真似ずに、次の世の中を築いてもらうためにも、
学びたいと思うこども達への、無償の教育はとても大事です。

各地に、児童センターとか児童館など 親が帰ってくるまで、子ども達が集まって入れる場所があります。
そこで、小中学生向けに、勉強などをおしえる人を配置して、学びたい子ども達に学ぶ機会をつくったらどうでしょうか?
すでに、実地している地区があるかもしれないですが、長野市では行われてはいないようです。
小中学校の生徒に教えれる能力のある人はたくさんいます。PTAでできる人が交代でやってもできます。
もちろん、そこには市税を投入し、教えることに対しての対価を発生させるべきです。といっても、夕方の3~4時間くらいであれば、1人を配置したところで、たいした金額にはなりません。そして、学びたい子ども達に学ぶ機会をつくることのほうが、どれだけ価値があるか。費やした金額以上のみかえり以上に、将来 十分に社会に還元されます。

学校の先生方は、教えるということ以外にやることが多く手も、気もまわりきれていません。また今の週休2日制の授業内容、教科書をみていると、一昔前の時代の内容とくらべ、とても簡単になっています。お金に余裕のある家庭は、塾などの習い事に子どもを通わせていますが、では余裕のない家の子どもはどうなるのでしょうか?どちらの子どもも、皆 大人になっていき、同じ社会で生きていくことになります。勉強がわからなくて、やらない子どももいますが、学びたいけど、わからない、でも聞ける相手がいない。もしくは、良い指導者がいないという子どももたくさんいます。 教育とは、本来 学びたい子ども達にはどんどんと学ばせるべきであります。 教育とは、教えることではなく、学ぶ意志をもって学ぶ機会をつくることです。 行政の予算の配分を是非 考えてほしい。

行政、市議、県議などになろうとする人たち、子どもを持つ大人たち、一度 教育ということに対して、考えてみて下さいませ。子ども達は、いろいろな大人の背中から社会を学んでいます。教育を学校の先生に100%依存することは、どうなのか? 教育は、詰め込むことなのか?それとも学ぶ姿勢をつくり、学ぶ機会をつくることなのか?
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自分の中にある多様性

よく、あの人は「こうだ」と固定観念がついてきますが、人は皆 いろいろな多様性を自分の中に秘めています。ただそれを、周りと自分の固定観念が 自分を 固定化していってると思います。
その固定化が、意図的に創られると、人を支配しやすくなります。と同時に、進化がとまると考えます。

畑に同じ品種だけそだてると害虫などの被害が大きくなりますが、多品種を植えたり(コンパニオンプランツ)すると、お互いに良い作用がうまれたり、植物自体が強くなると思います。

人間社会という枠で、考えても、多様性は必要で。いろいろな生き方を、体験したり、みたり(人のしぐさ)することにより、生きる技をお互いにみにつけていきます。自分の実体験だけでは、足りなく、やはり他の人の行動を観察することにより、良い手本となったり、同じ失敗をしないようにできたり、別のいい方法を考えたりすることができます。 一人一人が、お互いの見本(手本ではなく)であるといとを意識は大切かと思います。特に、子ども、自由に伸び伸びと育てたい!と思いながらも、固定観念にとらわれて子育てをしてしまいがちになります。 すべては、自分が体験したり、みたりしたことが、その後の自分の体の中から、外にわきでる力になると考えています。そのためには、無機質な空間での時間を減らして、そこに 生(life のある live 空間)での時間を増やしましょう。そこには、多様性が共存しているはずです。

たまには、普段 きない 服装で 外を歩いてみましょう。「らしく」ないファッションも大事ですよ。
もしくは、日常的にいないタイプの人の暮らしをみるとか。 多様性は、誰でももっているものです。
誰もが、笑ったり、泣いたり、怒ったりできるように。


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