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SHIN SETU SOU

guide for your trip and staying in Nagano

田んぼの手植えから感じること

今年より、コメ作りを一人で初めて見ました。といっても、代掻きは機械のある知人に依頼しましたが。
約5畝の田を、一人で手植え、6畝の田を手押しの機械でおこないました。手植えは、面倒なので線もひかず、ガイドもつけづフリースタイルでおこないました。人間、まっすぐに何かをやるということは、とても難しく、しなやかな曲線での手植えとなりました。1日でいけるかと思いきや、すぐに腰が痛くなり、1日目は終了。2日目は、まっすぐ植えることにあきて、田んぼの真ん中から、円をかくように、右回りで丸く植えました。
そして、円の横には、右回りに曲線で植えました。 のべ、3日間かかって植えた田は、田んぼアートになりました。
手で植えるということは、茶色のキャンバスに、緑の点で色づけてしているようで、絵を描くのと同じことであると感じました。
まあ、その後の作業(草取り、稲刈り)などは、効率(機械)が悪いかと思いますが、何かを創りだすことは、効率化とは関係がなく。
機械は、直線的な作品となり、手(自然界)は曲線となります。 手で植えると、苗1本1本に、自分の「気」がこもります、そして苗1本1本の命をかんじます。機械で、植えた6畝のほうは、そんな気もこめれず、また、機械の動きの都合上、一度植えた場所を、つぶして植えたりもします。 つまり、機械で植えると、1本の苗がどうなろうが、さほど気にならなくなります。それは、機械だから、効率を求め、早さをもとめ、量を求め、なので、1本くらい 浮いてしまおうが、つぶれてしまおうが気にしなくなります。
不思議なもので、手植えをしたときと、機械で植えたときは、このように苗に対しての気持ちが全く違うものになります。
効率を求め、機械化を追求した結果、ものなどに対しての思いが、どんどん減ってしまい、大切にする気持ちもなくなり、そのようなもの囲まれた生活が、とてもつまらなく感じてきます。 機械化が、悪いわけではないが、機械化とは、効率を追求することはどういうことか?について考えることは、非常に大切です。 すべてを、数字とか、金額とかで測ることは、あくまで一つの方法である。
本質は、違うということを 考えてみましょう。 数字にかこまれた生活は、あまりにつまらないということを。
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